第三章「地方人としての暮らし」~苦手な坑木の積み込み
十二月の寒さの厳しい夜であった。「ブルガジル」〈班長〉がバラックに来て、“今夜八時にワゴン車が一両きて、坑木の積み込みに入る・・・・・と「ナチャーニック」〈現場長〉から話しがあった”と言う。皆は無言で聞いていたが、この作業がここでは一番苦手な仕事であった。二メートルほどの坑木を貨車に積み込む作業である。
ソ連の有蓋五〇トン貨車には、いくら積んでも一向に一杯にならない。五人が貨車に踏み板を掛け、一人で一本ずつ担ぎながら二〇メートル位の土場を蟻のようにせかせかと往復するのである。疲れて少し速度を緩めると汗が冷えて一層寒さが増すのであった。外は真っ暗で、部落の灯りも時間が立つに連れてポツリポツリと消えていく。ただ構内の電柱の明かりと駅の灯りとが、ぼんやりと鈍く光っていた。 ここインガシャでは時々狼の遠吠えを聞く事があった。我々には珍しくもあり、また何とも言えない寂しい気持ちにもなったものである。 誰かがあまりの寒さに耐えかねて、貨車のそばに木屑を集めて焚き火をしたのである。その時皆で一斉に、班長へ聞こえよがしに「アデハイ」〈休息〉と言いながら焚き火の回りに集まって、手をかざして暖をとった。時刻は午前二時であった。 班長は、皆に“もう一息だ”と言って睫毛の氷を右手で払った。“貨車の坑木も八分目以上は積んだだろう”と吐くように言った。 皆の日焼けした顔が、焚き火に照らされて真っ赤に光って見えた。皆それぞれに煙草をゆっくり吸ってから、再び黙々と働き出したのである。辛かった夜中の積み込み作業も、午前四時には全部終了した。 私はこの作業で知った事が一つある。それは引き込み線の貨車の停滞時間は、何時間以上か経過すると反則金を課せられるという仕組みがあるという事だった。
by yamamo43
| 2010-10-20 16:19
| 第三章「地方人としての暮らし」
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