第二章「ラーゲル生活あれこれ」~もう囚人ではない
早いものでトムスクに来て四ヵ月が経った。私は受刑最後の初冬を迎えたのである。来月はいよいよ満期釈放となるのであった。
ふとその時、十四年前に旭川の軍隊で召集解除になった時の事が、さあっと頭の中をよぎった。あの時のような嬉しさは湧かない。ただただ不安な毎日を何事にも耐えて今日まで過ごして来た事が、我ながら不思議に感じられた。これも健康なればこそと、心から親に感謝する。 私が釈放になる日は十一月上旬の予定であった。いよいよ釈放の一週間ほど前になったある日、監理局職員が収容所にやって来た。私のパスポートを作成するために、写真と指紋をとって行った。 「ミシヤ、ハラショー」〈山本、よかったなぁー〉と班の中で一番の「スタレーカ」〈老人〉が、私の顔を見ながら言った。私は「ダー」〈はい〉と何故か重い口調で返事をした。老人はしばらくしてから「ミシヤ、お前わしの婆さんの所へ尋ねて行け」と真面目な顔つきで言ってくれた。私は嬉しい事を言ってくれるものだと思って、心から「スパシーボ」〈ありがとう〉と言った。 ここトムスクでの仕事は、毎日台車の丸太積みであった。今までの鉄道工事から見ると、ずっと身体は楽であった。それに気候も多少暖かく感じた。しかし、痩せた体と皮膚の鮫肌は、なかなか元通りに回復しなかった。 やがて待ちに待った釈放の日が来た。おかしなもので私はロスケ達と別れるのが、なんとなく名残惜しくなってきていた。例のスタレーカが「ミシヤ、汽車の中では絶対寝るなヨ。靴まで持って行かれるぞ。証明書は肌にしっかりつけて置け。盗まれたらお前はまたチョルマ〈刑務所〉だぞ。」などと、こまごまと注意をしてくれた。その事が私には嬉しくて、涙が込みあげてきた。 私は興奮しながら、最後に班の皆に「ダスビダーニ、ダスビダーニ」〈さようなら、さようなら〉と心から深々と挨拶をした。貴重なパンを売ってやっと手に入れた、ロスケが持ち歩くベニヤ板のチマダン〈トランク〉をさげて、監理局の職員の後について衛門に向った。衛門には監視兵が三人ほどいて皆ニコニコしながら、一様に口を揃えて「ミシヤ、ハラショー」〈山本、良かったな〉と言いながら、「ここの門を出たならもう入れないのだから、またここに来ては駄目だ」と言うのであった。 私はその時、なんとも言いようのない複雑な感情を押える事ができなかった。夢中で衛門を出た時、初冬の太陽が大分沈み辺りは薄暮であった。 「さあ、私は今から自由の身なのだ!『ザクリチョンネ』〈囚人〉ではないのだ!」と自分に何度も繰り返しながら言い聞かせたのである。
by yamamo43
| 2010-10-10 22:53
| 第二章「ラーゲル生活あれこれ」
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